島根県隠岐郡隠岐の島町に位置する玉若酢命神社古墳群は、古代隠岐の歴史と文化を今に伝える貴重な遺跡群です。この古墳群は、旧隠岐国の総社である玉若酢命神社の北西に広がる丘陵地帯に築かれており、前方後円墳1基と円墳14基、合計15基から構成されています。自然豊かな丘陵の尾根に沿って点在するこれらの古墳は、古墳時代後期の地域社会の様子を物語る重要な文化遺産です。
古墳群の中心的存在となるのが、丘陵の頂上に築かれた8号墳です。この前方後円墳は全長約32〜33メートルを誇り、後円部の直径は約19メートル、高さは約2メートルと、隠岐地方でも有数の規模を持っています。墳丘は良好な状態で保存されており、頂上には石室の蓋石と考えられる板状の岩が露出しています。
このような前方後円墳は、当時の有力者、すなわち地域の盟主の墓であったと考えられており、玉若酢命神社古墳群においても最初に築かれた中心的存在であった可能性が高いとされています。
前方後円墳を取り囲むように分布する円墳は、直径10〜15メートル程度、高さ約1メートルのものが多く、3〜4基ずつまとまりを形成しています。これらは未発掘のものが多いものの、内部構造は横穴式石室であると推定されており、6世紀後半頃に築かれたと考えられています。
かつて存在した3号墳では、大刀や須恵器が出土しており、当時の埋葬文化や副葬品の様子を知る手がかりとなっています。なお、3号墳は闘牛場建設に伴い消滅しましたが、その記録は現在も学術的に重要な資料となっています。
この古墳群が位置する一帯は、国府原古墳群や斉京谷古墳群など、5世紀代の古墳が集中する地域として知られています。古代隠岐の政治・文化の中心地であった可能性が高く、玉若酢命神社古墳群もその重要な一角を担っていたと考えられています。
こうした価値が認められ、1972年(昭和47年)には島根県の指定史跡に登録されました。現在も静かな丘陵地に佇みながら、訪れる人々に悠久の歴史を感じさせてくれます。
古墳群の南東麓には、隠岐国の総社として知られる玉若酢命神社が鎮座しています。この神社は、隠岐の開拓に関わったとされる玉若酢命を主祭神として祀り、古くから地域の信仰の中心として重要な役割を果たしてきました。
玉若酢命神社は、『延喜式』にも名を連ねる由緒ある式内社であり、古代には国司が国内の神々をまとめて祀る「総社」として機能していました。国府に近い場所に設けられる総社は、政治と宗教が結びついた重要な拠点であり、この地が古代隠岐の中心地であったことを示しています。
創建の正確な年代は不明ですが、天武天皇の勅命による創建とする説や、景行天皇の皇子に関わる伝承などが伝えられており、古代からの深い歴史を感じさせます。
現在の本殿は1793年(寛政5年)に造営されたもので、国の重要文化財に指定されています。茅葺き屋根に千木や堅魚木を備えた重厚な姿は、素朴でありながら威厳に満ちています。
特に注目されるのが「隠岐造り」と呼ばれる独特の建築様式です。出雲大社の大社造、伊勢神宮の神明造、春日大社の春日造の要素を融合させた形式で、屋根上に設けられた「雀踊り」と呼ばれる横木も特徴的です。
境内には樹齢1000年以上とも2000年以上ともいわれる巨大な杉の木「八百杉」がそびえ立っています。この杉は、八百比丘尼が植えたという伝説を持ち、根元にはかつて大蛇が住んでいたとも伝えられています。現在も幹の内部は空洞となっており、神秘的な雰囲気を漂わせています。
毎年6月5日に行われる例祭「御霊会風流」は、隠岐を代表する伝統行事のひとつです。中でも注目されるのが「馬入れ神事」で、狭い参道を馬が勢いよく駆け上がる迫力ある光景は圧巻です。この祭りは島根県の無形民俗文化財にも指定されており、地域の人々に大切に受け継がれています。
玉若酢命神社の境内に隣接する億岐家住宅は、代々宮司を務めてきた家系の住居であり、隠岐地方を代表する大型民家です。1801年(享和元年)に建てられたこの建物は、入母屋造の茅葺き屋根を持ち、国の重要文化財に指定されています。
内部には神棚を祀る「神前の間」や、神事に関連する「ミソギベヤ」など、社家ならではの特徴的な空間が設けられています。また、宝物殿には古代の駅鈴や隠伎倉印といった貴重な文化財が展示されており、古代律令制度の実態を知るうえでも重要な資料となっています。
玉若酢命神社古墳群と玉若酢命神社は、古代から現代へと続く歴史の流れを一体的に体感できる貴重な観光地です。丘陵に広がる古墳群を歩きながら古代の営みに思いを馳せ、その麓に鎮座する神社で静かな祈りの時間を過ごすことができます。
西郷港からバスでアクセス可能で、「玉若酢命神社前」バス停からすぐという立地も魅力です。隠岐の自然と歴史、そして人々の信仰が織りなすこの地は、訪れる人に深い感動と発見を与えてくれることでしょう。