松江城の歴史と建築
松江城の建設は、1600年の関ヶ原の戦いで戦功を挙げた堀尾忠氏が行いました。彼は隠岐・出雲24万石を与えられ、月山富田城に入城しましたが、より戦略的な位置にある亀田山に新たな城を築くことを決定しました。1607年に築城が始まり、1611年に完成しました。この城は、その後の出雲地方の政治経済の中心地となりました。
松江城の構造
松江城は標高29メートルの亀田山に建てられ、その天守からは宍道湖を一望できます。城の構造は五層六階の天守を中心に、6基の櫓が配置されていました。城山部分は現在、城山公園として開放されており、日本さくら名所100選や都市景観100選にも選ばれるなど、島根県の主要な観光名所となっています。二ノ丸跡には松江神社と木造洋館の興雲閣があります。
松江城の保存と復元
明治時代初頭、廃城令により松江城の建物は解体される予定でしたが、地元有志の尽力により天守閣のみが買い戻され、解体を免れました。その後、城山部分は公園として開放され、現在は特定非営利活動法人松江ツーリズム研究会が運営しています。近年では二の丸の櫓が復元され、往年の姿を取り戻しつつあります。
松江城の歴史・沿革
松江城の前史として、鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地には末次城が置かれていました。1600年、関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏が松江藩を成立させ、1607年に亀田山に築城を開始しました。1611年に松江城は完成しましたが、堀尾吉晴はその完成目前で急死しました。
その後、1634年に京極忠高が出雲・隠岐両国26万石で入封し、三の丸を造営し松江城の全容が完成しました。1638年には信濃国松本藩より松平直政が出雲18万6千石で入封し、以後、松平家が明治維新まで松江城を治めました。
近現代の松江城
1871年の廃藩置県により松江城は廃城となり、1873年には廃城令が公布され、天守を除く建造物は解体されました。しかし、地元の豪農や元藩士の努力により天守は保存されました。1927年に松平家が城地を松江市に寄付し、公園として開放されました。1934年には国の史跡に指定され、1935年には天守が国宝に指定されました。
松江城の構造と特徴
松江城は小瀬甫庵の縄張りによる平山城で、軍学者の小瀬甫庵や土木職人の稲葉覚之丞が設計に携わりました。松江市街の北部に位置し、南を流れる京橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城です。宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つでもあります。
天守の構造
天守は外観4重、内部5階、地下1階で、望楼型天守に分類されます。外観は黒塗の下見板張りと漆喰塗で装飾されており、屋根は本瓦葺きです。内部の構造には通し柱が多用されており、建物の中央部には各階をつなぐ通し柱があります。地下には城郭建築では唯一の現存例である井戸があります。
国宝指定と復元事業
松江城の天守は2015年に国宝に指定され、昭和30年代から国宝指定に向けた運動が行われてきました。近年では、二の丸の櫓や塀の復元が進められており、松江城の往年の姿を取り戻す努力が続けられています。
堀の自然環境
松江城の堀は汽水域であり、豊かな生物相を誇ります。2016年からは外来種の駆除も行われ、自然環境の保護が進められています。
城跡内の施設
城跡内には興雲閣や松江神社、松江護国神社、城山稲荷神社などがあり、観光名所として多くの人々が訪れます。