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日御碕神社

(ひのみさきじんじゃ)

古から遷座する朱塗りの社

日本の夜を守ると伝えられる出雲の古社

日御碕神社は、島根県出雲市大社町日御碕に鎮座する歴史ある神社で、島根半島の最西端近く、日本海に面した松林の中に静かに佇んでいます。古くから「みさきさん」という愛称で親しまれ、出雲地方では非常に重要な神社として信仰を集めてきました。

この神社は、神話に登場する二柱の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る神社であり、出雲大社の祖神を祀る神社としても広く知られています。朱色に彩られた壮麗な社殿は、日本海の青い海と松林の緑に美しく映え、出雲を代表する景観の一つとして多くの参拝者や観光客を魅了しています。

境内には江戸時代に建てられた社殿群が残り、社殿12棟や鳥居などが国の重要文化財に指定されています。神話、歴史、建築、そして美しい自然が一体となった神聖な場所として、出雲観光において欠かすことのできない名所となっています。

上下二社からなる珍しい神社構成

神の宮(上の宮)と日沈宮(下の宮)

日御碕神社の最大の特徴は、境内に上の宮「神の宮」下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」という二つの神社があることです。この二社を総称して日御碕神社、あるいは日御碕大神宮と呼びます。

神の宮には素盞嗚尊が祀られ、日沈宮には天照大御神が祀られています。日本神話において姉弟とされる神々が同じ境内に祀られている点は非常に特徴的です。

楼門をくぐると正面に日沈宮があり、その右手の石段を上った小高い場所に神の宮が建つという配置になっています。参拝者はこの二つの社を順に巡りながら参拝することができます。

神の宮の起源と伝承

神の宮は、現在の社殿の背後にある隠ヶ丘に古くから鎮座していたと伝えられています。神の宮に祀られている素盞嗚尊は、出雲神話において国造りを行った神として知られています。

神話によれば、出雲の国造りを終えた素盞嗚尊がこの地を訪れた際、「我が神魂はこの柏の葉が止まる場所に住もう」と言い、柏の葉を投げて神意を占いました。

すると柏の葉は風に舞い、現在の社殿の背後にある隠ヶ丘に落ちました。この場所こそ神の鎮まる地であると考えられ、素盞嗚尊の五世の孫にあたる天葺根命(あめのふきねのみこと)がこの地に神を祀ったと伝えられています。

その後、安寧天皇13年(紀元前536年)に勅命によって現在の場所へ遷座されたと伝えられ、これが神の宮の始まりとされています。

日沈宮の創建と由来

一方、天照大御神を祀る日沈宮は、もともと現在の神社から約100メートル沖の日本海上に浮かぶ無人島経島(ふみしま)に鎮座していました。

伝承によると、天葺根命が近くの海岸である清江の浜を訪れた際、経島に生える松の木から神々しい光が輝き、「私は日の神である。ここに鎮まり人々を守ろう」と天照大御神の神託が下されたといいます。

そこで天葺根命は島の上に神殿を建てて天照大御神を祀りました。これが日沈宮の起源とされ、その後948年(天暦2年)に村上天皇の勅命によって現在地へ遷座されました。

このとき神の宮と合わせて日御碕大神宮と称されるようになり、出雲地方を代表する神社として広く信仰を集めるようになりました。

「日の本の夜を守る神社」

日沈宮という名称は、日御碕神社が「日の本の夜を守る神社」とされたことに由来しています。古来、伊勢神宮が「日の本の昼を守る神社」とされるのに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」という勅命を受けた神社と伝えられています。

島根半島の西端に位置するこの地は、日本海に沈む夕日が美しい場所として古くから知られており、出雲地方では日が沈む神聖な地として特別な意味を持っていました。

夕暮れ時には朱塗りの社殿が黄金色の光に包まれ、神話の世界を思わせる神秘的な景観が広がります。

朝廷と武家の崇敬

日御碕大神宮は古くから朝廷の崇敬を受けてきた神社であり、鎌倉時代以降も武家からの信仰を集めました。歴代の為政者によって社殿の修造が行われ、神社の威光は次第に高まっていきました。

江戸時代には松江藩初代藩主の堀尾忠氏が社領780石余を寄進し、さらに徳川幕府からも600石が与えられるなど、厚い保護を受けました。このような背景から、山陰地方においては出雲大社に次ぐ大社として知られるようになりました。

江戸時代に建てられた壮麗な社殿

徳川家光による造営

現在の社殿は江戸時代初期に建立されたもので、江戸幕府三代将軍徳川家光の命により造営されました。造営は1634年に開始され、約10年の歳月をかけて1644年に完成しました。

当時の松江藩主である京極忠高が工事を担当し、その後藩主となった松平直政の時代に完成したと伝えられています。

日光東照宮を思わせる権現造り

日御碕神社の社殿は、日光東照宮の建築様式を取り入れた権現造りという形式で建てられています。本殿と拝殿が幣殿でつながる壮麗な構造で、桃山時代の華やかな建築様式を色濃く残しています。

社殿は白壁と朱塗りの柱によって彩られ、極彩色の彫刻が施された豪華な装飾が特徴です。龍や虎、鶴亀、松竹梅など縁起の良い意匠が彫刻されており、建築美術としても非常に高い価値を持っています。

狩野派・土佐派による壁画

本殿内部の天井や壁には、日本画の名門である狩野派土佐派の絵師による豪華な壁画が描かれています。これらの装飾は江戸時代の美術文化を伝える貴重な作品として高く評価されています。

日御碕神社の境内 ― 日本海を望む神話の聖地

日御碕神社は、島根半島の最西端に近い松林の中に静かに佇んでいます。日本海の断崖に近い場所に位置し、青い海と緑の松林に囲まれたその景観は、古くから神聖な場所として人々に崇められてきました。

神話に登場する二柱の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る神社として知られ、古代から国家守護の神として信仰されてきました。

境内には江戸時代初期に建立された壮麗な社殿群が残されており、社殿12棟、鳥居2基、石灯籠5基などが国の重要文化財に指定されています。海に映える朱塗りの社殿は出雲地方では珍しい建築様式で、神話と歴史、そして美しい自然が融合した神社として多くの参拝者や観光客が訪れます。

上下二社からなる日御碕神社

神の宮と日沈宮

日御碕神社の大きな特徴は、境内に二つの神社が存在することです。上の宮を「神の宮(かみのみや)」、下の宮を「日沈宮(ひしずみのみや)」と呼び、この二社を総称して日御碕神社、または日御碕大神宮と呼びます。

神の宮には素盞嗚尊が祀られ、日沈宮には天照大御神が祀られています。日本神話ではこの二柱は姉弟神とされており、同じ境内に祀られている神社は非常に珍しい存在です。

境内に入ると、まず朱塗りの楼門が迎えてくれます。門をくぐると正面に日沈宮があり、その右手の石段を上った小高い場所に神の宮が建つという独特の配置になっています。

神の宮 ― 素盞嗚尊を祀る上の宮

隠ヶ丘からの遷座

神の宮は、現在の社殿の背後にある隠ヶ丘に古くから鎮座していたと伝えられています。神話によれば、出雲の国造りを終えた素盞嗚尊がこの地にやって来た際、「我が神魂は柏葉の止まる場所に住まん」と言い、柏の葉を投げて占いを行いました。

するとその柏の葉は風に舞い、現在の神社背後にある隠ヶ丘に落ちたといわれます。この場所こそ神魂が鎮まる場所であると考えられ、素盞嗚尊の五世の孫である天葺根命(あめのふきねのみこと)がここに神を祀ったことが神の宮の起源とされています。

その後、安寧天皇13年(紀元前536年)に勅命により現在の場所へ遷座されたと伝えられています。

厄除けと開運の神

神の宮に祀られる素盞嗚尊は、厄災を祓う強い力を持つ神として信仰されています。災難除けや開運、家運繁栄などのご利益があるとされ、全国から多くの参拝者が訪れます。

日沈宮 ― 天照大御神を祀る下の宮

経島からの遷座

境内の中心に建つ日沈宮は、天照大御神を祀る社殿です。もともとは現在の社地から約100メートル沖の日本海に浮かぶ経島(ふみしま)に鎮座していました。

伝承によると、天葺根命が近くの海岸である清江の浜を訪れた際、経島に生える松の木から神々しい光が輝き、「我は日の神なり。この地に鎮まり人々を守ろう」と天照大御神の神託が下されたといいます。

そこで天葺根命は島の上に神殿を建てて天照大御神を祀りました。これが日沈宮の始まりとされ、その後948年(天暦2年)に村上天皇の勅命によって現在地へ遷座されました。

「日の本の夜を守る」神社

日沈宮という名前は、日御碕神社が「日の本の夜を守る神社」とされたことに由来しています。これは、伊勢神宮が「日の本の昼を守る神社」とされるのに対し、日御碕神社が「日の本の夜を守れ」との勅命を受けたことによるものです。

島根半島西端のこの地は、古くから夕日が沈む神聖な場所と考えられてきました。夕暮れ時には朱色の社殿が黄金色の光に包まれ、神話の世界を思わせる神秘的な景観を見ることができます。

江戸時代に建てられた壮麗な社殿

徳川家光による大規模造営

現在の社殿は、江戸幕府三代将軍徳川家光の命によって建てられました。1634年(寛永11年)に松江藩主京極忠高が造営を開始し、後に藩主となった松平直政の時代である1644年(寛永21年)に完成しました。

日光東照宮の完成直後に造営されたことから、その建築様式は東照宮を模した権現造りとなっています。

桃山文化を伝える華麗な建築

社殿は白壁と丹塗りの柱によって彩られ、桃山時代の華やかな建築様式を色濃く残しています。本殿と拝殿は幣殿でつながる構造で、豪華な装飾が施された建築は見応えがあります。

柱や梁には、龍や虎、鶴亀、松竹梅など縁起の良い彫刻が施されており、その数は100か所以上にも及びます。同じ彫刻がほとんど存在しないほど多彩な意匠が見られるのも特徴です。

また、両本殿の内部には狩野派土佐派の絵師による豪華な壁画が描かれており、江戸時代の美術文化を今に伝えています。

国の重要文化財に指定された社殿

境内に残る社殿群は江戸時代初期の神社建築として極めて価値が高く、日沈宮・神の宮・楼門・回廊・禊所・宝庫・門客人社など12棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。

さらに鳥居2基や石灯籠5基などの石造建築物も附指定されており、神社建築としては非常に保存状態の良い貴重な文化遺産となっています。

両本殿の内部には、狩野派や土佐派の絵師によって描かれた豪華な壁画が残されており、江戸時代の美術文化を今に伝えています。

境内の主な建造物

楼門

境内入口に建つ朱塗りの楼門は、日御碕神社の象徴ともいえる建造物です。堂々とした門構えは参拝者を神聖な空間へと導き、境内の景観をより一層引き立てています。

回廊と禊所

日沈宮の周囲には回廊が巡らされており、神域を囲む荘厳な雰囲気を作り出しています。また境内には禊所があり、神事の際にはここで身を清める儀式が行われます。

門客人社

楼門の左右には門客人社と呼ばれる社があり、神域を守る神が祀られています。門番の役割を持つ神を祀る社で、参拝者が神域へ入る際の守護神とされています。

神域の孤島「経島」

神社の西方約100メートル沖の海上には、神聖な島である経島(ふみしま)があります。この島は日沈宮の元の鎮座地で、現在も神社の神域として大切に守られています。

島の面積は約3000平方メートルほどで、柱状節理の岩石が積み重なった独特の地形をしています。その姿が経典を積み重ねたように見えることから「経島」と呼ばれるようになったといわれています。

この島はウミネコの繁殖地としても知られ、国の天然記念物に指定されています。冬になると約5000羽ものウミネコが飛来し、春には産卵や子育てが行われます。

神域として神職以外の上陸は禁止されており、毎年8月7日の例祭のときのみ神職が船で渡り神事を執り行います。この祭りは夕日の祭とも呼ばれ、沈みゆく夕日を背景に行われる神事は非常に神秘的な雰囲気に包まれます。

多くの文化財を伝える神社

日御碕神社には数多くの文化財が伝えられており、社殿群をはじめとして多くの建造物が国の重要文化財に指定されています。

また、鎌倉時代に作られた甲冑である白糸威鎧(しろいとおどしよろい)は国宝に指定されており、神社が長い歴史の中で武将や朝廷から厚い崇敬を受けてきたことを物語っています。

出雲を代表する神話の聖地

日御碕神社は、出雲大社と並ぶ出雲地方の重要な神社であり、古くから朝廷や武家、大名たちから厚い崇敬を受けてきました。

朱色の社殿、日本海に沈む夕日、そして神話の伝承が残る神聖な雰囲気は、訪れる人々に深い感動を与えてくれます。

また、厄除けや縁結び、夫婦円満、家運繁栄などのご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れます。出雲観光の際には、出雲大社とあわせて訪れたい神話の聖地の一つといえるでしょう。

Information

名称
日御碕神社
(ひのみさきじんじゃ)
リンク
公式サイト
住所
島根県出雲市大社町日御碕455
電話番号
0853-54-5261
営業時間

境内自由

御守所 8:30~16:50

駐車場
20台
アクセス

JR出雲市駅から一畑バス【日御碕線】で「稲佐の浜」下車、徒歩すぐ(約40分:1日4本のみ)

一畑バス「出雲大社連絡所」から徒歩13分(約1km)

出雲大社から車で3分
出雲大社から徒歩15分(約1.2km)

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