安来市加納美術館は、島根県安来市広瀬町の自然豊かな山あいに建つ公立美術館です。通称「加納美術館」として親しまれており、郷土出身の洋画家加納莞蕾(かのう かんらい)の芸術と平和思想を伝える美術館として知られています。
この美術館は、莞蕾の長男である加納溥基(かのう ひろき)氏が、地域文化の発展と文化活動・生涯学習の拠点づくりを目的として1996年に設立しました。開館当初は私立美術館として誕生し、その後2002年に旧広瀬町の町立美術館となり、2004年の市町合併により現在の安来市立美術館となりました。
館内では、加納莞蕾の絵画や書作品をはじめ、平和運動の資料、備前焼の名品、日本画、郷土作家の作品など幅広いコレクションが展示されています。静かな自然に囲まれた環境の中で、芸術と平和の大切さをゆったりと感じることができる美術館です。
加納莞蕾(1904年~1977年)は、島根県能義郡布部村(現在の安来市広瀬町布部)に生まれた洋画家であり、戦後には平和運動家としても知られる人物です。本名は辰夫で、「莞蕾」は画家としての雅号です。
1926年に上京し、川端画学校や本郷洋画研究所で学び、日本近代洋画を代表する画家岡田三郎助に師事しました。さらに前田寛治や佐伯祐三など当時の若い芸術家たちと交流しながら、画家としての基礎を築いていきました。
1931年には独立美術協会展に出品して入選を重ね、洋画家として活躍します。その後、島根県浜田市の小学校で教師を務めながら児童教育にも携わり、地域の芸術活動の発展にも尽力しました。
1937年に教職を辞した莞蕾は朝鮮半島へ渡り、その後は従軍画家として中国・山西省の戦地で戦争の様子を描くことになります。この戦争体験は、彼の人生と思想を大きく変える出来事となりました。
戦後、フィリピンのマニラ軍事裁判によって多くの日本兵が戦犯として収容されている現実を知った莞蕾は、彼らの釈放を求める助命嘆願活動を始めます。
莞蕾はフィリピンのエルピディオ・キリノ大統領に対して、戦犯として収容されていた日本人の赦免を求める手紙を送り続けました。その数は40通以上にも及び、さらに世界各国の要人にも平和を訴える嘆願書を送りました。
手紙の中で彼は、「憎しみを愛に変えることこそ人類の進むべき道である」と訴え続けました。この真摯な行動はやがて大きな反響を呼び、1953年7月4日、キリノ大統領は日本人戦犯105名の赦免を発表します。
この出来事は戦後の日比関係において象徴的な出来事の一つとされ、莞蕾は平和を願う人物として広く知られるようになりました。
帰郷後、莞蕾は1954年から1957年まで布部村の村長を務め、村議会で「布部村平和五宣言」を提唱しました。また、世界の子どもたちの人権を守るため「世界児童憲章」の制定を訴えるなど、生涯にわたり平和活動を続けました。
晩年は水墨画や書の制作にも取り組み、平和への願いを芸術として表現し続けました。1977年8月15日、73歳で亡くなりましたが、その精神は現在も加納美術館を通して伝えられています。
美術館では、加納莞蕾の絵画や書作品、平和運動の資料など約130点が収蔵されています。展示室には彼が描いた作品とともに、フィリピン戦犯釈放運動に関する手書きの資料や謄写版印刷の文書なども展示されており、戦後の平和運動の歴史を知る貴重な資料となっています。
これらの展示は、学校の平和学習にも活用されており、子どもたちが戦争と平和について考える大切な学びの場となっています。
加納美術館のもう一つの大きな魅力は、約780点に及ぶ備前焼コレクションです。備前焼は岡山県備前市周辺を産地とする日本を代表する陶器で、日本六古窯(瀬戸・常滑・丹波・越前・信楽・備前)の中でも最も古い歴史を持つ焼き物として知られています。
備前焼の最大の特徴は、釉薬を使わず高温で焼き締める製法です。薪窯で長時間焼くことで、灰や炎の作用によって自然な模様や色合いが生まれます。こうして生まれる素朴で力強い表情は「土と火の芸術」とも呼ばれ、日本の茶道文化とも深い関わりを持っています。
第2展示室では、備前焼の人間国宝として知られる陶芸家たちの作品を鑑賞することができます。
・金重陶陽
・山本陶秀
・藤原啓
・藤原雄
・伊勢崎淳
特に金重陶陽は備前焼の「中興の祖」と呼ばれる人物で、衰退していた備前焼を昭和時代に復興させ、桃山時代の美しさを現代に蘇らせました。館内では布袋や獅子などの置物、香炉など多彩な作品を見ることができます。
備前焼は同じ焼き物であっても、窯の中での炎や灰の影響によってさまざまな表情を見せます。例えば、灰が付着して胡麻をまぶしたように見える「胡麻」、赤い線の模様が現れる「緋襷(ひだすき)」、丸い模様が生まれる「牡丹餅(ぼたもち)」など、多彩な景色が楽しめます。
この美術館では多くの人間国宝の作品を見比べることができ、備前焼の奥深い魅力をじっくりと味わうことができます。
館内では備前焼や洋画だけでなく、日本画の作品も展示されています。特に岡山県を代表する日本画家である小野竹喬や池田遙邨の作品は、日本の自然の美しさを繊細に表現した名作として知られています。
また、安来ゆかりの作家の作品も多数収蔵されています。彫刻家西田明史や細田育宏、水彩画家青戸慧など、地域にゆかりのある芸術家の作品も展示されています。
さらに、地元作家の作品を紹介する企画展も年4回開催されており、地域文化の発信拠点としての役割も担っています。
安来市加納美術館は、山々に囲まれた静かな場所に建っており、四季折々の自然を感じながら芸術鑑賞ができる環境が整っています。春には新緑、秋には紅葉が美しく、ゆったりとした時間の中で作品を楽しむことができます。
都市の喧騒から離れ、落ち着いた雰囲気の中で美術を鑑賞できる点も、この美術館の魅力の一つです。
安来市加納美術館へは、山陰自動車道安来インターチェンジから車で約20分ほどの距離にあります。また、JR安来駅からタクシーを利用すると約30分で到着します。
自然豊かな山間部に位置するため、ドライブを楽しみながら訪れる観光客も多く、安来市周辺の観光とあわせて訪れるのにおすすめのスポットです。
安来市加納美術館は、芸術作品の展示だけでなく、加納莞蕾が生涯を通して訴え続けた「平和」の理念を伝える特別な美術館です。絵画や陶芸を鑑賞するだけでなく、戦争の歴史や平和の大切さについても考えることができる場所となっています。
静かな自然の中で芸術と向き合いながら、平和への思いに触れることができる安来市加納美術館は、安来市を訪れる際にぜひ立ち寄りたい文化施設の一つといえるでしょう。